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7月, 2018の投稿を表示しています

言葉に関するくだらない考察 その2

そういえば、相手を呼ぶときのちょうどいい言葉ってないよね。 とふと思った。 日本語には、「敬意逓減(ていげん)の法則」というのがある。 長く使われている言葉の、丁寧な印象がだんだん失われていくというもの。 最近、「~させていただきます」がやたらと乱発されるのもその一つだろう。 「させてもらいます」とか、「いたします」では何となく失礼に聞こえるようになってきちゃったのだ。 「お前」はごく身近な目下の者にしか使えないし、同じように二人称である、「君」とか「あなた」とかも非常に使いづらい言葉になってきた。 すでに僕たちの世代は「あなた」と呼ばれると、何となく上から言われているような印象を受ける。友達に「君さあ」というのもちょっと怒っているみたいだ。 さてどうしよう。 そこでよく使われるのが「あっ」という言葉である。 いちいち名前言うのも違うし、うまく相手を呼べないけれど、いきなり本題に入るのも不躾だというときに、よく、 「あっ、そういえば、こないだどこどこ行った?」 などと使うのだ。「あっ」のところに「きみきみ、聞いてくれたまえ」という意味がこもっている。 でも、「あっ」は二人称じゃないしなあ。 「YOUさあ」とか「お主は」などふざけて使うときはあるが。 「君」と「あなた」が勢いよく生きているのが歌詞の世界だ。 使わないと意味が伝わらないのでね。 きざな言い回しにすると、すこし敬意というのは上がるらしい。

言葉に関するくだらない考察 その1

最近なんだか残念なこと。 トラックやワゴンなどによく社名が書いてありますよね。 進行方向から読むようになっているので、車体の右側は右から左へと読むように書いてある。戦前の読み方ですね。 これが最近減って、反対側も普通に読めるように左から書いてある車が増えてきたのだ。 なぜ残念なのか、まったくくだらない理由だが、反対から読むとただ面白いのだ。 「スーリタンレラハイ」とか、「ムテスシトイア」とか書いてあるのだ。 一番のヒットは、 「キンデダンホ」 であった。 まったく共感の得られない話だ。 社名変なことに使ってすみません。

根っこ

アパートの外の花壇にジョーロで水をかけていてふと思い出したこと。 幼稚園のころ、一人ずつ育てていた朝顔に水を上げるとき、 お花のところにたっぷりかけてあげようね。 お水をかけるとお花さんが喜んでいるよね。 と教わった。 僕は、きらきらと輝いている花の笑顔を思った。 小学校に上がって、同じように課題であった朝顔の花に水をやっていると、 ねえ、まるやまくん、上から水かけてもしょうがないよね。 植物は根っこから水を吸うんだから、この下の土のとこにかけてあげなくちゃ、水がとどかないでしょ? と先生が言ったのだ。 僕は少しのショックを覚えた。 それは小さな小さな「現実」に出会った瞬間であった。 子どもは空想のゆりかごの中から、少しずつ現実の苦さや、また旨味を知り大人になっていく。 空想の中で見たものが、外の世界をどう捉えていくかの色眼鏡に変化していくのだ。 空想と現実が上手に入り混じって、初めて人間らしいやさしさが生まれる。 周りの大人達がしてくれたように、僕も自分の子だけでなく、関わる子どもたちのゆりかごを守るように子育てをしていきたいと思う。

忙しいのである

最近は連日猛暑が続いている。 まずは大雨などにより被災されている方々に、心からお見舞い申し上げたい。 最近すっかりブログというものを書いていなかった。 ほぼ毎日更新していた時期もあったが、そんなころとは比べ物にならないぐらい忙しくなったのだろう。 というのは、やはり子育てという一大事業に心を費やしているからに他ならない。 以前はあんなによく見て記事にしていた自然や景色も、ほぼ目に入らないぐらいのスピードだ。 家にいるときはほとんど子どもにまとわりつかれているので(半分はたのしいのだが)、まずはこういった二次的なことは後回しにせざるを得ないのだ。 とはいえ、そればかりが人生ではない。 誤解を恐れずに言えば、親が趣味も何もかも捨て去り、とにかく子供第一第一で邁進する家庭というものは、実は、意外と、ああごめんなさい、怒らないで、とついたてに隠れながらも言わせてもらうならば、意外となんだか却ってギクシャクしているように思う。 ある意味、いい加減さというか、テキトーさのようなものは大切にしておかないといけないなと思う今日このごろである。

正直の音

うちの近所でうぐいすが鳴いており、 今日行ったところでは、ツクツクボーシが鳴いていた。 なんだか真ん中がすっぽ抜けたような音だった。 でもすごく自然で頼りがいのある音だ。 季節外れでも、そういうものになりたいと思う。 今日、仲間のミュージシャンと生活や人生観についてとっても深くまで話し合った。 なんだか嬉しく、久しぶりにそんな話をしたなあと思う。 本音をみっちり話し合える機会は最近殆どなかった。 本音ってなんだろう…、とまで思っていた今日このごろである。 あはは、ネガティブな話はあんまりしたくないが。 歯に衣着せないのは良くないが、かなりのところまで正直でいいだろうと思うのだ。