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2019年のおもいで

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今年一年を振り返って、まず言いたいことは、 「返信遅くなってごめんね。」 である。 今年もいろいろあったなあ。 メールの返信をする余裕もない時もたくさんありました。 そのくらいの時間あるでしょ?という人もいる。 月に一日ぐらい。 一日のうちに何分ぐらい。 理屈ではそうなんだけど、疲れてしまってそんなわけにいかないのよ~。 さて、今年の音楽活動でのハイライトは、やっぱりカンボジアの旅だった。 一つ前の記事に新しいのでここでは省略するけど、久しぶりにいい旅をしたと思う。 帰ってきてから、自分の性格や働き方まで変わったように感じる。 それがずっと続いているので、きっと本当に変わったのかもしれない。 来年は、なんだかいい年になるような気がしている。 本年も沢山の方々にお世話になりました。 来年もまたどうぞよろしくお願いいたします。

カンボジア演奏旅行記 その4

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その他のいろいろなお話。 ■縁ってすごい! JHPの2人の日本人スタッフのうち、なんとひとりは同郷で、なななんと同じ高校であった。何この縁!?すげー!と話をしていると、 初めて会い食事をした他支援団体の方2人は、偶然にも義姉の旦那の元同僚であり、もうないよね…、と思っているとJHPのもう一人のスタッフの方は義姉の青年協力隊時代の同期であった。 カンボジアで会った日本人、なぜかみ~んなどこかで繋がっているのでした。 世間って狭いのね。 っていうより、全然違う人間関係から招かれていったにもかかわらず、義姉夫婦の手の内から脱出できていないじゃないか(笑) 何なんだあの人達。 ■茂みには入るな 森や茂みには入るな、と言われる。 内戦時代の数万ともいわれる地雷がいまだに埋まっているからだ。 処理も進み、被害に遭う方は減っている。 特に多いのはタイ国境の地域で、首都近郊には少ないそうだが。 ■クメールフードはおいしい タイ料理ほど辛くなく、パクチーも強くなく、 料理によっては和食のようなテイストもあり、日本人にもなじみやすい。 僕はレモンの入ったサワースープが大好き。 辛くないトムヤムクンみたいなのね。 ■結婚式 FIDRの若いスタッフがちょうど翌週に結婚式を控えていた。 音響のセッティングに何かと世話を焼いてくれたロタナック君。 おめでとう! カンボジアの結婚式は賑やかである。 道端に色とりどりのテントを張って、その下で生バンドが爆音で演奏し、みんなで踊る。 設備のリース、バンド演奏専門の業者がいるそうだ。 金持ちになるとテントで道路を封鎖してしまう。 ちょろっと警察官に袖の下が必要みたいですがね…。 あ、そうそう。 バラードで踊る時に、みんな手を上げてゆらゆら返すような踊りをしていた。 これがなんか沖縄のカチャーシーに似てるんだ。 これってルーツかもしれないと思いました。 ■トゥールスレン虐殺博物館 1979年ごろまでポル・ポト派による知識階級の虐殺は続いていた。 かつて学校だった建物が収容所となり、筆舌に尽くしがたい拷問や殺戮が行われた。 職業による差別、思想による差別、ほとんどが無実かでっち上げである

カンボジア演奏旅行記 その3

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 さて、「JHP-学校を作る会」のインターナショナルスクールがプノンペンにある。 こちらの地区はかつてはゴミ山があって、そのごみを拾いながら生計を立てる方々が多くいたそうだ。現在は大分整備されている。 スクールには寮も併設されていて、孤児や近隣の比較的貧しい家庭のお子さんたちが支援を受け通っている。 3つ目の仕事は、こちらの子供たちへのワークショップである。 端的に言うと、実は思った結果には至らなかったので大成功ではなかったが、子供たち、現地スタッフの皆さんとのコミュニケーションはとても楽しかった。 日本でさせていただいているのと同様に、あるテーマから絵を描いて、そこから歌詞を発想してみようというもの。 最終的には簡単な歌にまで仕上げてみる、と提案していたのだが、思った以上にクメール語の語感が難しく(当たり前か…)、日本に持ち帰って作曲をしてお送りすることまでを今回の完成にさせてもらった。  テーマは、 「もし雲の上に人が住んでいたらどんな世界?」 「もし河の中で息ができたら何をしたい?」 「子牛は寝るときどんな夢を見ていると思う?」 「もし動物と話ができたら何をしたい?」 「もし大きな鳥の上に乗れたらどこへ行きたい?」  打ち合わせの時に、子供たちは劇や物語を作るのは好きだが、自由にしておくと「ドラッグはいけない」とか「泥棒はいけないよ」とか、どこかで習ったようなものに寄り添っていってしまうと、スタッフの方は話していた。 僕たちが当たり前のように童話や絵本などで培ってきた「空想の世界」が、どれだけ養われているかということである。 宇宙人ってわかるかなあ? 海の生き物だと内陸の国だからわかるかなあ? そもそも「歌詞」ということの意味がわかるのかなあ? などなどいろんな不安が飛び出していたので、あまり抽象的になりすぎず、たのしい「もしも」の世界を想像できるようなテーマにしてみた。 やっぱり子供たちはすごい。 思いもしないような空想の世界がバンバン飛び出してきた。 中でも傑作は、「私はタコになりたい!」であった(笑) きれいなドレスを着てお城に住んでいるタコの絵。 カンボジア人ってタコ信仰!?と思ったが別にそういうわけじゃな

カンボジア演奏旅行記 その2

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濃厚な一泊をしたロリオス村を後に、クラチェ中心街に戻り、院内コンサートを行いました。これはある意味、今回のメインの演奏でもあります。 佐伯さんの考えたテーマは「日本の音楽を聴いて健康に」である。 ロリオス村の若干の不消化を立て直す意味で少し考えた。 病院に娯楽が少ないので、FIDRが初めて院内にTVを設置したとき、患者さんの顔がぱっと明るくなり、その時のみんな顔が忘れられないと、佐伯さんは言っていた。 「娯楽が少ない。」という言葉には少々の誤解が発生しそうだ。 皆さんYOUTUBEやSNSなどは僕たち以上に使いこなしていらっしゃるし、カラオケも大好き。スポーツも好き。結婚式などでは生バンドが入って、夜中まで踊る人たちである。 院内において、傷病の回復という目的以外にレクリエーションがなく、病床にカーテンや老若男女の区別もないため、家族だけで安楽に過ごす時間なども少ないだろう。 雑踏やソーシャルメディアの中に少ないものは、生身の人間が直接語りかけるような、有機的な音・形、そして柔らかな癒しのための「娯楽」だ。 だから今回の音楽のテーマは、集団の中で「個」になれること。 そして、やさしい手のような音色、と思う。 あれ…?なんだ、普段から自分がやっていることじゃないか。 ロリオス村でのちょっとした課題をクリアできたのか、なにか皆さんの欲しいものと、僕が行いたいことが少し合致したような気がした。 クメール語には、音楽に対する専用の褒め言葉があるそうだ。 スペルはわからないが、「音が良い」という意味のその言葉を何人もの人が言ってくれたらしい。 涙を流しながら聴いてくださった方もいた。 ほんとうに音楽家冥利に尽きると思う。 ところで、「アラピヤ」という曲がある。 カンボジアで、子供から大人まで知らない人はいない。 「みんな集まって楽しく歌って踊ろうよ!」というような内容のフォークソング調の曲で、必ず大合唱になるような歌だ。 この曲を覚えて、ライブの最後に歌わせてもらった。 いつ頃できた歌なのか定かではないが、音楽などとてもできなかった時代を乗り越えて、「みんなで踊ろうよ」という歌詞が、きっと僕たちが聞くよりずっと意味のある曲なんだろうと思う。

カンボジア演奏旅行記 その1

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GDPがこの10数年で2倍以上になろうという勢いで上昇し、巨大なビルがそびえ立ち、首都には外国のファンデーションが支援しているこども病院があり、治療費はなんとすべて無料。 フロンティアとして世界中から注目を集めている、現在のカンボジア。 かつては、極端な社会主義を推し進めたポル・ポトとその部隊クメール・ルージュによって、数百万もの人が迫害・虐殺された。 わずか40数年前の出来事である。 先進国の人道・経済支援によって平和を取り戻した街々の、のんびりとした雰囲気が一変したのがこの10年。 「イオン前・イオン後」という言い方が流布しているそうだが、 その言葉の通り、2011年に東南アジア最大のイオン(もちろん日本のイオンのことね)が開店。 プノンペンを中心とするカンボジアの経済は激変したそうだ。 それに拍車をかけてバブル真っ只中の中国が、ビルは建てるわ道は造るわ、リゾート地はチャイナタウン化するわで、まあ大忙しである。 というようなカンボジアに行ってまいりました。 首都プノンペンは、バイクやトゥクトゥクでごった返していて、そこここに生ごみがぶちまけてあり、ああ、なんかインドっぽいなあ、というのが最初の印象であった。 人々は穏やかで、初めてなのになぜか懐かしい、独特の雰囲気である。 何をしに行ったのかというと、2本の演奏と、1つのワークショップを依頼されていたのであります。 友人の佐伯氏が勤務しているFIDRという医療系のNGOと、そこから紹介していただいた、JHPという教育支援団体からのお話である。 わずか40年前の社会主義の影響は続いている。 当時、「農業」を重視した極端な思想が、知識・学問そのものを否定したため、学者や教師、医療者、宗教者、芸術家、音楽家などなど知識層の人々はどんどん捕まって殺されてしまったのだ。 そのため、目覚ましい経済発展を遂げる今でも、教育や医療などにおいては人材不足で、外国の支援に頼る部分が多いそうだ。 佐伯さんはクラチェという州の病院で、医療機器を提供したり、衛生や保健の啓発活動を行ったりしている。 その中で、娯楽の少ない田舎の病院に、音楽やアートなどの必要性を提案したいという思いを受けて、僕は呼ばれて行ったのでした。 はてさてどうなることやら。

WS

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長らくブログを更新しておりませんでした。 ■ワークショップ 夏に子ども向けの歌詞づくりのワークショップをさせていただいた。 午前中にグループワークで子どもたちが作った歌詞4編に、子どもたちが午後、他のWSに参加している間に曲をつけて発表するというもの。 時間制限のある即興作曲で、なかなか過酷だったけど、とても個性的な曲たちが誕生しました。 アーカイブしてあります。ぜひ聞いてみてくださいね。 https://www.youtube.com/watch?v=v4_wH4GHYo4

おとぎばなしの夜・番外編

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デ・オッシ+丸山研二郎の演奏会。 今回は清水区の麦とろ飯のお店、大変個性的な空間「丸子亭」にて「おとぎばなしの夜・番外編」と題して、 T2オーディオ主催のイベントとして開催させていただきました。 お座敷ライブは久々。 終始あたたかい雰囲気でよい時間を作ることができたと思います。 デ・オッシの二人は温めていた新曲を披露し、僕のオリジナル曲「春の調べ」にもアンサンブルをつけてきてくれた。 最近特に、バッチリはまっていくというか、単なるコラボではなく一つの空間を作っていけるようになってきたと思う。 多分二人の音楽表現としてはもちろん、ステージ内外での所作振る舞いにも未熟な自分はたくさん助けられている部分があると思って、感謝感謝なのであった。 何よりも、支えてくれるお客様の期待のエネルギーがあってこそ。 今回、何やら身辺の忙しさから、僕は少しミストーンも多く必ずしも満足のいくステージではなかったが(ムラのあるところ反省…)、それ以上にあたたかい気持ちになった夜だった。 そしてまたこちらの名物とろろご飯がなんたる美味。 マスターである伝説の歌手、現在は民謡の師匠である、坂越さん(海道はじめ)さんとの出会いも嬉しかった。 おとぎばなしシリーズは次回は9月に大阪・雲州堂へ遠征、11月にもう一度静岡UHUで企画中です。 これからも乞うご期待です。 ありがとうございました!

無意識

段々と春めいてきた今日このごろである。 美しいお月さまを見ると、呆然と立ち尽くしてしまう。 最近ふと思うこと。 ものごとを良くしていく人と、 そうでない人がいる。 日頃の行いにかかわらず、なぜかうまくいって周りも幸せにしてしまう人。 一生懸命頑張っているように見えるのに、なぜかマイナスの結果を出してしまう人。 前世からの因縁というやつだろうか。 表面的な行いとは関係のない、優しさや祈りの質量が結果を決めていくのだろうか。 心の8割以上は無意識でできているそうだ。 どんなに優しい気持ちを持って人のために行動しているつもりでも、8割の気が付かない中に相手を蔑んだり、自分だけがいい思いをしたいという気持ちが沢山あったら、きっとどこかで周りに見透かされてしまい、良い結果は得られないのだろう。 3歳の子供と生活をしていて、今、この日々をこの子はほとんど忘れてしまうんだろうなと思う。 確かに、記憶として今までの人生をどのくらい覚えているかというと、ほんの場面場面なものだ。 でも確実に親が行った不道徳、嘘、不誠実はその無意識に影響していくのだろう。 もちろん良い行いも同じである。 大切にしたいと思う。

2019始まっております

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全国的に寒い日が続いている。 静岡は暖かいほうでありがたい限りだ。 あけましておめでとうの投稿をしようと思って、もう1ヶ月半が経ってしまった。 時々このブログを覗いてくれている方、ごめんなさい。 最近はSNSでライブのお知らせを発信するばかりで、なかなか自分の考えなどを文章化する機会を失っていた。 年末にとても嬉しいことがあった。 なんと4本ものギターがうちにやってきたのだ。 (1本はミニギターで写真には写っていない) とある結婚式の余興演奏で、初めて会う方と合奏することになり、練習のために友人と一緒にお宅に伺った。 その方のご主人は、趣味でギターを弾いていたが今はもう殆ど弾いていないらしく、僕が演奏するのを見ていたく気に入ってくださったようだった。 うちにもこんなのがあるんですよー、という感じで自分のギターを出して見せてくれたのだが、帰りがけに、これみんな持って行ってください、と言ってあろうことか僕に全部くださったのだ。 僕は耳を疑った。 プロ仕様と言っても過言ではないほどの高価な楽器である。 その時の感情は書き表しきれないが、もうペコペコしてしまったのは事実である。 また数本のギターを持って帰宅した僕を見て、妻はあらまあどうしましょと当惑するやら、お返しどうするの!と半分怒るやら、大変なことになったのであった。 そしてこうした人の真心に恥じない演奏ができるように、とにかく精進しようと心に誓った出来事であった。 僕はアコースティック、エレキ、12弦などなど特殊な楽器も含めて10本ほどギターを持っている。 実はその中で自分で買ったギターは殆ど無い。 不思議なことに、誰かがくださったり、無期限で貸してくださったり、必要なものが自然と回ってくるのだ。 変に自慢すると罰が当たるかと思って今まで書かなかったのだが、いろいろな方に胸いっぱいの感謝を表現したく、こうやって書いてみることにしたのである。 ありがとうございます。 ポロポロといろいろな種類のギターを弾いていると、表現の幅が広がっていくようでとても嬉しい。