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変化

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突然降って湧いた(日常を生きていた僕らからすれば)コロナウイルスという災害で、世界がとんでもないことになっている。 まずは、感染症に苦しんでいる方々、身近な人を亡くされたりして悲しい思いをされている方々に祈りを。そして医療関係者や、様々な場所で対策に奔走されている方々に感謝したいです。 さて、僕らにとっては、とにかく仕事以外にはあまり「外出をしない」という毎日が続いています。そうでない人もいるけど。 感染症という危機が、家族や職場や地域に影響を与えつつあって、特に最近重要だなと思うことは「目的」意識だ。 今、大事なことの順番は何なの? 何のためにそれをやるの? というシンプルなこと。 対策がうまくいって称賛を集めている国や自治体のリーダーたちは、ここがぶれていないのではないだろうか。 ちなみに僕はブレブレである。 妻などは、まず「子ども」「家族」、そして「仕事」や「娯楽」と非常に順番がはっきりしている。学ぶところばかりだ。 今までオンライン会議や、ハイテクなアプリなどに若干の抵抗があったが、今回の騒動で、そういったものを使うことに抵抗がなくなった。メリットを強く感じたからだ。 何で今まで抵抗してたのかと考えると、目的がずれていたからだと思う。 意見を合わせるだけならメールでもテレビ電話でもいいものを、そこに、親睦したいとか、一生懸命働いているという実感を得たいとか、ただ一緒にいたいとか、そういう別の目的が入ってくるのでわからなくなっていたのだ。 物事のメリット・デメリットをしっかり考えるようになると、逆に、会わなければならないこと、現金でなければいけないこと、時間をかけなければいけないこと、など変えられないものもはっきりしてくる。 ミュージシャンや表現者たちが、ライブ配信や動画コンテンツを発信し始めた。 僕は、3月からギターソロのカバー曲シリーズを、インスタとFBに2日に一回上げている。感染の心配や自粛のストレスに疲れている人のために、すこしでも安らぎになればいいなと思ったのだ。 ミュージシャンは、癒やしや楽しみを人に与えることが第一であり、なるべく沢山の人にそれができるために人に知られる必要があり、そのために金銭や時間が必要である。 感染症対策から、そんなシンプルなことを学んだ次第。

本音

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4さいの娘によくぶったたかれる。 これが結構イタイのだ。 機嫌が悪くてするときもあるし、遊んでいて抑制が効かなくなる時もある。 でも、いけないことは教えなければならない。 とうとは、こうされたのがとっても痛くてつらかった。 こう言われたのが嫌だったから、謝ってほしい。 と自分がめっちゃ素直になって、自分のこころを打ち明けるのってすごくこっぱずかしいというか、勇気がいることに気が付く。 思えば大人になってから、何かいざこざがあった時に、私は本当はこう思っていてあなたにこうしてほしい、と素直に表現できたことってどれだけあったかな。 結局、言えなかったり、言ったとしても本音じゃなかったり、陰口に変わったりしたことが多かったんじゃないかな。 さっき大ゲンカしたと思ったら、けろっとしてまた「遊ぼう」って寄ってきてくれる。 そんな風な大人に、僕はなりたかった・・・。 っていうか、今からでもなれる!

枠

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障がいの方の支援をしていて、当然だが、枠にはまらない人が多いなぁと思う。 「作業所」という枠、「グループホーム」という枠、「ヘルパー制度」という枠の中にすんなりいられる人もいれば、その中で、本人の自然な姿と、周りに求められる姿とのギャップに苦しんでいる人も多い。 ある意味「障がい」という考え方自体が、「普通の人」という枠の外にいる、という健常者の考えと言えなくもない。 障がい福祉の制度も、こういう人はこちらでみましょう、こういう方はこちらで…、という枠の連続だ。 いろんな形の枠を並べていけば、当然隙間ができるわけで、そこに取り残されてしまう人もいるのだ。枠ごとに中身をしっかりしようとすればするほど、形は固くなってしまい、ある人には入り辛くなる。 みんなとは違う行動をする人がいると、決まりを作って同じにしましょう、と言う。すると当然、それを守れない人が出てくる。好かれる人、嫌われる人がはっきりしてくる。 手を差し伸べようとする人まで、枠の外に出ている、といって締め出されてしまう。やっと入り込んだ枠の中にも枠があって、上下左右そして4次元方向へも、枠だらけなのだ。 時間の枠、場所の枠、立場の枠、人間関係の枠、気づかいや道徳の枠 物理的に不自由な人や、理解が難しい人にはとても追いつけないし、できる人でも超頑張らなくてはならない。 でも、みんな枠を作りたがる。 枠の内側にいたいからだ。 ほんとうは、枠を作らなくてもOKなように対話したり、自分の中の精神的な枠を広げたり壊したりしていかなくてはならないと僕は思うのだ。 それはとっても怖ーい。 オオカミに食べられちゃうかもしれないからね。 誤解を恐れず、勇敢に、外で戦っている障がいの方をみると、すげーなーと思う。

JHPワークショップ 楽曲

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昨年11月にカンボジアにて行った、JHP学校をつくる会ワークショップで子どもたちとクメール語で作った曲をUPしました! 作詞ワークショップ 2019年11月8日(金) JHP学校をつくる会 CCHインターナショナルスクール プノンペン / カンボジア 講師:丸山研二郎 Lyrics Workshop 2019/11/8 fri. CCH INTERNATIONAL SCHOOL Phnom Penh / Cambodia Elementary school musician:Kenjiro Maruyama 低学年 1.川底の王宮 0:00 2.おはなしのできる動物 2:28 3.雲の国 4:32 4.タイトルなし(もしも鳥の背中にのれたなら) 7:54 高学年 5.雲の上の街 10:15 6.子牛のゆめ 12:31 7.話せる動物 14:05 8.美しい川 15:53 作画テーマ 「もし雲の上に人が住んでいたらどんな世界?」 「もし河の中で息ができたら何をしたい?」 「子牛は寝るときどんな夢を見ていると思う?」 「もし動物と話ができたら何をしたい?」 「もし大きな鳥の上に乗れたらどこへ行きたい?」 午前・小学校低学年(1~3年生)午後・高学年(4~6年生) 各30名ほどの参加者を4つのグループに分け、上記のテーマより4つをランダムに選択、テーマから連想する絵をひとりひとり自由に描く。 グループでそれぞれが描いた絵を見ながら相談をし、絵を説明する言葉を発想。4行の短い詞にまとめる。 丸山が帰国後に作曲。 音源にして送付し、子どもたちに鑑賞してもらった。 JHP学校をつくる会の音楽・美術教育支援事業の一環として実施。 ----以下 歌詞日本語訳 翻訳:佐伯風土 低学年 1.川底の王宮 川のなかにすむ 魚の王女様は とても美しいお姿で 召使いたちと暮らしてる サメやカニ 大きい魚に小さい魚 いっしょに踊って みんなが家族 川の中に咲いている たくさんの花 木々のすきまをぬって泳ぐ たくさんの魚 みんなが家族 すてきな家族 いつも平和な 川の中の王宮で 低学年 2.おはなしのできる動物 すてきな景色のあそこには 動物たちがすんでいる 一緒...

抱負!

あっというまに正月が行ってしまった。 今年の抱負。 まずは音楽活動の方の目標は、 実はギター教室を始めようかと思っております。 初心者からちょっと表現を広げたいアマチュアミュージシャンの方まで。 仕事もありますので毎日ではなくお客様と予定合わせてぼちぼちですが、できたら宣伝したいです。 精神的な目標。 1、第一印象を大切にする よく食事のメニューを決めたりするのに、本当に食べたいものじゃなくて、金額や量がお得なものなどをつい選んでしまう自分がいた。これって生活の他のことにも現れてきて、大きな目で見ると損してるような気がして。 もちろん節約はしますが、あっ、これ!というものを大切にしようと思う。 2、人のせいにしない 陰口も無責任も、いたずらに人を傷つけたりすることもみんなここから始まる。 人やまわりの非をとやかく言う前に、まずは自分がどうあるかを考えよう、と改めて思う。 できるかな? 「今日は空がきれいでしたよー」と、友人からのメールの返信に添えられていた。 僕はそれがどんな空だったのか想像した。 丁寧な手紙は時候の挨拶から始まる。 相手がどういう風景の中から連絡してくれているのかわかると、こちらも優しくなれる。 良い一年になりそうな気がした。

2020

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あけましておめでとうございます。 2020年でございます。 昨年11月に訪れたカンボジアはプノンペンの支援学校の子どもたちが作った詞に、曲をつける作業を、昨年末から行っている。クメール語はもちろんしゃべれないのであるが、なぜだかスラスラと曲のイメージが出てくる。 もちろん日本の子どもたちの言葉もそうなんだけど、子どもたち独特の発想って本当にイメージをくすぐられやすい。 僕が子どもなのかな…笑 確かに、子どもの頃から学校帰りに、その場で思いついた言葉に勝手な歌を付けて歌いながら歩いたりしていた。なんてことのない、アニメキャラクターの特徴などを歌った曲。 「〇〇は強くてぇ、こんな服を着ているぅ♪」 みたいなくだらない歌。 それが、ひょっとしたら音楽なんか別に興味もなかった小中学生時代をすり抜けて、今の自分に影響を与えてるかもしれない、と思うと今目の前にいる子どもたちに対して真剣に曲を送ってあげたいと思うのである。 さあ、新しい年が始まりました。 今年はどんな一年になりますか。みなさまにとって幸多き年になりますよう。 どうぞよろしくお願いいたします。

2019年のおもいで

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今年一年を振り返って、まず言いたいことは、 「返信遅くなってごめんね。」 である。 今年もいろいろあったなあ。 メールの返信をする余裕もない時もたくさんありました。 そのくらいの時間あるでしょ?という人もいる。 月に一日ぐらい。 一日のうちに何分ぐらい。 理屈ではそうなんだけど、疲れてしまってそんなわけにいかないのよ~。 さて、今年の音楽活動でのハイライトは、やっぱりカンボジアの旅だった。 一つ前の記事に新しいのでここでは省略するけど、久しぶりにいい旅をしたと思う。 帰ってきてから、自分の性格や働き方まで変わったように感じる。 それがずっと続いているので、きっと本当に変わったのかもしれない。 来年は、なんだかいい年になるような気がしている。 本年も沢山の方々にお世話になりました。 来年もまたどうぞよろしくお願いいたします。

カンボジア演奏旅行記 その4

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その他のいろいろなお話。 ■縁ってすごい! JHPの2人の日本人スタッフのうち、なんとひとりは同郷で、なななんと同じ高校であった。何この縁!?すげー!と話をしていると、 初めて会い食事をした他支援団体の方2人は、偶然にも義姉の旦那の元同僚であり、もうないよね…、と思っているとJHPのもう一人のスタッフの方は義姉の青年協力隊時代の同期であった。 カンボジアで会った日本人、なぜかみ~んなどこかで繋がっているのでした。 世間って狭いのね。 っていうより、全然違う人間関係から招かれていったにもかかわらず、義姉夫婦の手の内から脱出できていないじゃないか(笑) 何なんだあの人達。 ■茂みには入るな 森や茂みには入るな、と言われる。 内戦時代の数万ともいわれる地雷がいまだに埋まっているからだ。 処理も進み、被害に遭う方は減っている。 特に多いのはタイ国境の地域で、首都近郊には少ないそうだが。 ■クメールフードはおいしい タイ料理ほど辛くなく、パクチーも強くなく、 料理によっては和食のようなテイストもあり、日本人にもなじみやすい。 僕はレモンの入ったサワースープが大好き。 辛くないトムヤムクンみたいなのね。 ■結婚式 FIDRの若いスタッフがちょうど翌週に結婚式を控えていた。 音響のセッティングに何かと世話を焼いてくれたロタナック君。 おめでとう! カンボジアの結婚式は賑やかである。 道端に色とりどりのテントを張って、その下で生バンドが爆音で演奏し、みんなで踊る。 設備のリース、バンド演奏専門の業者がいるそうだ。 金持ちになるとテントで道路を封鎖してしまう。 ちょろっと警察官に袖の下が必要みたいですがね…。 あ、そうそう。 バラードで踊る時に、みんな手を上げてゆらゆら返すような踊りをしていた。 これがなんか沖縄のカチャーシーに似てるんだ。 これってルーツかもしれないと思いました。 ■トゥールスレン虐殺博物館 1979年ごろまでポル・ポト派による知識階級の虐殺は続いていた。 かつて学校だった建物が収容所となり、筆舌に尽くしがたい拷問や殺戮が行われた。 職業による差別、思想による差別、ほとんどが無実かでっち上げである...

カンボジア演奏旅行記 その3

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 さて、「JHP-学校を作る会」のインターナショナルスクールがプノンペンにある。 こちらの地区はかつてはゴミ山があって、そのごみを拾いながら生計を立てる方々が多くいたそうだ。現在は大分整備されている。 スクールには寮も併設されていて、孤児や近隣の比較的貧しい家庭のお子さんたちが支援を受け通っている。 3つ目の仕事は、こちらの子供たちへのワークショップである。 端的に言うと、実は思った結果には至らなかったので大成功ではなかったが、子供たち、現地スタッフの皆さんとのコミュニケーションはとても楽しかった。 日本でさせていただいているのと同様に、あるテーマから絵を描いて、そこから歌詞を発想してみようというもの。 最終的には簡単な歌にまで仕上げてみる、と提案していたのだが、思った以上にクメール語の語感が難しく(当たり前か…)、日本に持ち帰って作曲をしてお送りすることまでを今回の完成にさせてもらった。  テーマは、 「もし雲の上に人が住んでいたらどんな世界?」 「もし河の中で息ができたら何をしたい?」 「子牛は寝るときどんな夢を見ていると思う?」 「もし動物と話ができたら何をしたい?」 「もし大きな鳥の上に乗れたらどこへ行きたい?」  打ち合わせの時に、子供たちは劇や物語を作るのは好きだが、自由にしておくと「ドラッグはいけない」とか「泥棒はいけないよ」とか、どこかで習ったようなものに寄り添っていってしまうと、スタッフの方は話していた。 僕たちが当たり前のように童話や絵本などで培ってきた「空想の世界」が、どれだけ養われているかということである。 宇宙人ってわかるかなあ? 海の生き物だと内陸の国だからわかるかなあ? そもそも「歌詞」ということの意味がわかるのかなあ? などなどいろんな不安が飛び出していたので、あまり抽象的になりすぎず、たのしい「もしも」の世界を想像できるようなテーマにしてみた。 やっぱり子供たちはすごい。 思いもしないような空想の世界がバンバン飛び出してきた。 中でも傑作は、「私はタコになりたい!」であった(笑) きれいなドレスを着てお城に住んでいるタコの絵。 カンボジア人ってタコ信仰!?と思...

カンボジア演奏旅行記 その2

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濃厚な一泊をしたロリオス村を後に、クラチェ中心街に戻り、院内コンサートを行いました。これはある意味、今回のメインの演奏でもあります。 佐伯さんの考えたテーマは「日本の音楽を聴いて健康に」である。 ロリオス村の若干の不消化を立て直す意味で少し考えた。 病院に娯楽が少ないので、FIDRが初めて院内にTVを設置したとき、患者さんの顔がぱっと明るくなり、その時のみんな顔が忘れられないと、佐伯さんは言っていた。 「娯楽が少ない。」という言葉には少々の誤解が発生しそうだ。 皆さんYOUTUBEやSNSなどは僕たち以上に使いこなしていらっしゃるし、カラオケも大好き。スポーツも好き。結婚式などでは生バンドが入って、夜中まで踊る人たちである。 院内において、傷病の回復という目的以外にレクリエーションがなく、病床にカーテンや老若男女の区別もないため、家族だけで安楽に過ごす時間なども少ないだろう。 雑踏やソーシャルメディアの中に少ないものは、生身の人間が直接語りかけるような、有機的な音・形、そして柔らかな癒しのための「娯楽」だ。 だから今回の音楽のテーマは、集団の中で「個」になれること。 そして、やさしい手のような音色、と思う。 あれ…?なんだ、普段から自分がやっていることじゃないか。 ロリオス村でのちょっとした課題をクリアできたのか、なにか皆さんの欲しいものと、僕が行いたいことが少し合致したような気がした。 クメール語には、音楽に対する専用の褒め言葉があるそうだ。 スペルはわからないが、「音が良い」という意味のその言葉を何人もの人が言ってくれたらしい。 涙を流しながら聴いてくださった方もいた。 ほんとうに音楽家冥利に尽きると思う。 ところで、「アラピヤ」という曲がある。 カンボジアで、子供から大人まで知らない人はいない。 「みんな集まって楽しく歌って踊ろうよ!」というような内容のフォークソング調の曲で、必ず大合唱になるような歌だ。 この曲を覚えて、ライブの最後に歌わせてもらった。 いつ頃できた歌なのか定かではないが、音楽などとてもできなかった時代を乗り越えて、「みんなで踊ろうよ」という歌詞が、きっと僕たちが聞くよりずっと意味のある曲なんだろうと思う。 ...