2016年7月12日火曜日

無価値評論

参院選が終わって、TVや新聞などで周知のとおりの結果になった。

自分の周りには圧倒的に、改憲は反対、原発はなるべくなら無くしたい、経済に関しても今後どうあるべきかもう一度考え直そう、という意見の人が多い。

ところがふたを開けてみるとこのようになるので、選挙だけで言えば、やはり自分の持っている人間関係が良くも悪くも少数派なのかなあと考えてしまう。


僕は、ネットやSNSの記事を読んだり、地元の候補者や各党の公約に一通り目を通し、例えば改憲の話題に関しては、現行の日本国憲法と自民党の改憲草案とそのQ&Aを何度か読んで、自分の希望も乗せて一票を投じたつもりだ。

ざっくばらんに言えば、自分がその考え方を好きだと思う人・党に投票するしかないのだ。

しかし、友人などと話していると、選挙関連の記事、公約などな~んにも読んでいない人が意外と多いことに気がつく。

では何を基準に決めているの?というと、何となくのイメージ、家族や親しい人の意見、昔からの習慣、何にもわからないからとりあえず与党、などなどという。

何だと!?と言いたくもなるが、「勉強をしない」、ということも個人の自由である。

つくづく難しいものだ。


ネット上の不毛な誹謗中傷にはうんざりするが、不勉強な自分は、なるべく幅広い知識を持ちたい。

どんな意見でも、筋の通ったものは納得できるし、だれも将来に及んで正しい選択などあらかじめ知っていようはずはないので、立場の違いによって考えが別れることは自然だ。


そんな中で最近特に思っているが、僕は極論が嫌いである。

例えば原発の賛否が起こった時に、

A「原発がなくなったら、昔の生活にもどってもいいの?」
B「じゃあ、事故が起こった時にあなたの家族が被爆して病気になってもいいのか?」

というぶつかり合いが身近でもあった。

初めから議論になっていないのだ。

Aの問いにはエネルギー問題や経済等の話題で答えなければならないし、Bの問いには安全対策や人権、環境等に関する話題で答えなければならない。

本当に知識を持った人はそれをやっている。

僕たちも、キチンとした議論ができるようにちょっとだけでも勉強して、だれも誹謗中傷におびえずに意見が言えるような場所と雰囲気を作っていかなきゃと思う。


げげ、何にも知らないくせに、生意気なこと書いちゃった。

口ばっかりでごめんなさいごめんさい。

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