清水綺譚
清水にて2本演奏をさせていただきました。
来てくださった皆様ありがとうございました。
まずは、zilL&丸山研二郎のクレイファクトリー・ライブ。
ジルくんとご一緒させてもらうのは何年ぶりだろうか。
彼のステージは「相変わらず」だった(笑)。
いい意味でね。
お客さんがもういるのに、でっかい声で発声練習してるし。
急にセットリストを変更したり、今日作った、という未完成な曲をいきなり演っちゃって危なっかしかったり…、奇想天外だが、その底抜けのあたたかいキャラクターに、残らずみんなニコニコと笑顔になって帰っていく。
もちろん、とてもきれいなメロディで、明るく勇気づけてくれる曲たちがあってこそ。
ジルくんが「自分のカフェライブの原点だ。」というクレイファクトリーのすばらしい雰囲気も助けて、笑いあふれる楽しいライブになったようです。
偶然来ていたミュージシャンのZANちゃんが、椅子を叩いて乱入するハプニングも有。
楽しかった。
もう一つは、クローバー・カフェにてソロのライブ。
こちらは21:00からライブ開始と、始まる時間が遅い。
でも、店内にはゆったりとした時間が流れていて、非常に心地よく過ごすことができる。
不思議な空間だな、と思う。
その空間のせいか、いつも自分の感情と妙に向き合うことができるステージになる。
お客さんは皆あたたかく聴いて下さるので語弊はあるが、なぜか程よい孤独感があって、まるで自分だけぽつんと離れて演奏しているような、そんな奇妙な感じにとらわれることがある。
うまく表現できないけれど、緊張もしなければ舞い上がりもしない…、というか。
フラットである、というか。
朴訥だけど優しいマスターも本当にいい感じだ。
自家製野菜はハッとするほど美味しいし、超個性的なお店である。
ここ最近、清水で演奏させていただくことが多い。
特に選んでいるわけではなく偶然だけど。
清水銀座は閑散としている。
数十年前は飲み屋街はすれ違うのも大変だった、と誰かに聞いたが嘘みたいだ。
でも、一軒一軒のお店が非常に個性的で面白い。
飲みに行こうかな、と思うと、あ、清水がいいかなと思う今日このごろ。
日がな桜の下に寝転んで、ずっと満開の花を眺めていたいと思う。
毎年そう思う。しかしそんな暇はどこにもなく、空想に終わってしまう。
時間は作ればないことはないんだけど、今は子どもをほっぽらかして一人でごろごろできない、と思う。
じゃあ子どもがいなかったころはどうかというと、仕事が忙しいからとむりだと思っていた。
仕事が忙しくなかったころはどうだったかというと、桜の下に一日居たいなんて考えもしなかった。
何においてもそんな感じである。
人生はあっという間かも知れない。
来てくださった皆様ありがとうございました。
まずは、zilL&丸山研二郎のクレイファクトリー・ライブ。
ジルくんとご一緒させてもらうのは何年ぶりだろうか。
彼のステージは「相変わらず」だった(笑)。
いい意味でね。
お客さんがもういるのに、でっかい声で発声練習してるし。
急にセットリストを変更したり、今日作った、という未完成な曲をいきなり演っちゃって危なっかしかったり…、奇想天外だが、その底抜けのあたたかいキャラクターに、残らずみんなニコニコと笑顔になって帰っていく。
もちろん、とてもきれいなメロディで、明るく勇気づけてくれる曲たちがあってこそ。
ジルくんが「自分のカフェライブの原点だ。」というクレイファクトリーのすばらしい雰囲気も助けて、笑いあふれる楽しいライブになったようです。
偶然来ていたミュージシャンのZANちゃんが、椅子を叩いて乱入するハプニングも有。
楽しかった。
もう一つは、クローバー・カフェにてソロのライブ。
こちらは21:00からライブ開始と、始まる時間が遅い。
でも、店内にはゆったりとした時間が流れていて、非常に心地よく過ごすことができる。
不思議な空間だな、と思う。
その空間のせいか、いつも自分の感情と妙に向き合うことができるステージになる。
お客さんは皆あたたかく聴いて下さるので語弊はあるが、なぜか程よい孤独感があって、まるで自分だけぽつんと離れて演奏しているような、そんな奇妙な感じにとらわれることがある。
うまく表現できないけれど、緊張もしなければ舞い上がりもしない…、というか。
フラットである、というか。
朴訥だけど優しいマスターも本当にいい感じだ。
自家製野菜はハッとするほど美味しいし、超個性的なお店である。
ここ最近、清水で演奏させていただくことが多い。
特に選んでいるわけではなく偶然だけど。
清水銀座は閑散としている。
数十年前は飲み屋街はすれ違うのも大変だった、と誰かに聞いたが嘘みたいだ。
でも、一軒一軒のお店が非常に個性的で面白い。
飲みに行こうかな、と思うと、あ、清水がいいかなと思う今日このごろ。
日がな桜の下に寝転んで、ずっと満開の花を眺めていたいと思う。
毎年そう思う。しかしそんな暇はどこにもなく、空想に終わってしまう。
時間は作ればないことはないんだけど、今は子どもをほっぽらかして一人でごろごろできない、と思う。
じゃあ子どもがいなかったころはどうかというと、仕事が忙しいからとむりだと思っていた。
仕事が忙しくなかったころはどうだったかというと、桜の下に一日居たいなんて考えもしなかった。
何においてもそんな感じである。
人生はあっという間かも知れない。
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