分断

自閉症などの障がいを持った人たちが、音や光や、“普段と違うこと”や、まわりの変化に非常に敏感なのは、科学的に意味があって、彼らは、本来的な人間存在の中では、人間のコミュニティが自然や人間以外の環境とどう付き合っていくか、を敏感に察知していくためのアンテナのような役割を持っていたのだ、という。

逆に、いわゆる健常者(と自分で勝手に言っているボクたち)は、どのように効率的に社会を回してゆくのか、を考える役割に特化している人たちなのだ。

今はなぜか、後者の力が強くなってしまって、本来ちゃんとした役割を持っていた人たちに「障がい」というレッテルを貼っているのだ。

…という研究がなされているという記事を読んだ。

なるほど、言い得て妙だなと思う。

「あのさー、環境のこととか、平和についてとか、一度でも考えたことあるの?」と質したくなる人は確かにいる。

先の話でいけば、そういう人は、自分に与えられた社会を回していくことに特化しているだけなのだということになる。


ここからは自分の推測の話だが、例えば、

①環境からのメッセージを察知する人→②受け取ってシステムを作る人→④できたものを効率よく回す人→⑤結果を分析し後に伝える人

こんな役割が考えられる。

これが分断されて、お互いが理解できず蔑んでいるのが今の社会ではないだろうか。


そうやって考えると本来はもう一役、その違いをつなげていくための潤滑油のような役割をもった人が存在したはずだ。

「→」のところに存在する人たち。

それは、「本来の」音楽家とか芸術家などという人たちではないだろうか。

または人ではなく、それは「本来の」宗教や、信仰といったものではないだろうか。

だから!わたくしたちが頑張らねば、という話に持っていくのは、こじつけだと思って黙っているわけである。

しかし、あくまで「本来の」というところは強調したいポイントである。

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