カンボジア演奏旅行記 その1
GDPがこの10数年で2倍以上になろうという勢いで上昇し、巨大なビルがそびえ立ち、首都には外国のファンデーションが支援しているこども病院があり、治療費はなんとすべて無料。
フロンティアとして世界中から注目を集めている、現在のカンボジア。
かつては、極端な社会主義を推し進めたポル・ポトとその部隊クメール・ルージュによって、数百万もの人が迫害・虐殺された。
わずか40数年前の出来事である。
先進国の人道・経済支援によって平和を取り戻した街々の、のんびりとした雰囲気が一変したのがこの10年。
「イオン前・イオン後」という言い方が流布しているそうだが、
その言葉の通り、2011年に東南アジア最大のイオン(もちろん日本のイオンのことね)が開店。
プノンペンを中心とするカンボジアの経済は激変したそうだ。
それに拍車をかけてバブル真っ只中の中国が、ビルは建てるわ道は造るわ、リゾート地はチャイナタウン化するわで、まあ大忙しである。
というようなカンボジアに行ってまいりました。
首都プノンペンは、バイクやトゥクトゥクでごった返していて、そこここに生ごみがぶちまけてあり、ああ、なんかインドっぽいなあ、というのが最初の印象であった。
人々は穏やかで、初めてなのになぜか懐かしい、独特の雰囲気である。
何をしに行ったのかというと、2本の演奏と、1つのワークショップを依頼されていたのであります。
友人の佐伯氏が勤務しているFIDRという医療系のNGOと、そこから紹介していただいた、JHPという教育支援団体からのお話である。
わずか40年前の社会主義の影響は続いている。
当時、「農業」を重視した極端な思想が、知識・学問そのものを否定したため、学者や教師、医療者、宗教者、芸術家、音楽家などなど知識層の人々はどんどん捕まって殺されてしまったのだ。
そのため、目覚ましい経済発展を遂げる今でも、教育や医療などにおいては人材不足で、外国の支援に頼る部分が多いそうだ。
佐伯さんはクラチェという州の病院で、医療機器を提供したり、衛生や保健の啓発活動を行ったりしている。
その中で、娯楽の少ない田舎の病院に、音楽やアートなどの必要性を提案したいという思いを受けて、僕は呼ばれて行ったのでした。
はてさてどうなることやら。
喧噪のプノンペンを抜けて車で走ること6時間。
クラチェは大変穏やかでいい街である。
ヤモリがいっぱいいて、時々「ケケケ」と何か言っている。
メコン河!
河イルカも住んでいる雄大な河。
朝夕にぼんやりしてると何とも涼やかで幸せな気分になる。
地元の集団が、でかい音でエアロビをやっていたが、それはちょっと…あっちでやってくれる?
クラチェでの演奏は2つ。
ひとつはクラチェ州病院、院内コンサート。
ひとつは、さらに2時間悪路を行った先の、ロリオス村というところの保健センターにて。
観光客はおろか外国人がいることさえ珍しい村である。
ぶらぶら歩いていると、みんな玄関に座ってのんびりしている。
伝統的な高床式住居の集落。
日本で言ったらこの立地条件だと超過疎化していると思うが、こちらは子供がいっぱい、雑貨屋さんや食堂も活気があって活動的だった。
田舎には医師などはほとんどおらず、FIDRの支援で建設された保健センターに保健士さんが駐在している。
簡単な分娩室と家族の滞在施設もある。
保健センターで看られる病人はそこで処置をし、手に負えないものは車で州都まで運ぶという仕組みだ。
州内8つの保健センターを医師と一緒にまわり、病気の早期発見や、対処の仕方を研修したり、仕組みづくりをすることが友人・佐伯さんの働くFIDRのこの5ヵ年のプロジェクトだそうだ。
その中で、音楽療法の紹介、というか音楽を聴いて健康になろう、というような触れ込みで皆さんに聞いていただいた。
佐伯さん曰く、「みんな生のギター演奏なんか初めてだと思うので、よくわからなくって帰っちゃうかもしれないし、何が起こるかわからないですよ。あらかじめ…」
というようなことだったので、どきどきしながら演奏したが、思った以上にみんな喰いついてくれた。
というよりは、みんなスマホ(もう世界的にどんな田舎にも普及)で撮影しながら聴きなれない外国の音楽に興味津々だったというべきか。
カンボジアで有名な日本の歌、というのをあらかじめ教わっていた。「花(喜納庄吉)」や「涙そうそう」などはクメール語に訳されて歌われているそうだ。
涙そうそうを歌ってみたが、だれも知らないようだった…。
少し課題を残し、第1本目の演奏は終了した。
全然関係ない話だが、
もよおしてトイレに入ると、なんと洋式なのに便座がないではないか。
ムム…紙もない。
バケツに手桶か。
久々にハンドウォッシュやりました。意外と気持ちいいのよね。
夜は近所の民家に一泊させていただいた。
電気は車のバッテリーから引っ張っている電球だ。
シャワー、自由に使ってくださいね。ということだったので入ってみると、またもバケツに手桶。
よく見るとボウフラさんが生活していらっしゃる。
ヒャッホー!やったぜ。
なんか地元の方の仲間に入れてもらったような気がしてとてもうれしかった。
ザバザバと「シャワー」を浴びて、近所の食堂で現地スタッフの皆さんと食事。
もう真っ暗だしそろそろ休みましょうか、と時計を見ると19:30ごろだった。
田舎の夜は早い。
近所の家がカラオケに興じている(田舎でもみんなカラオケ大好き。機械は必ずもっているそうだ。)
クメール語の歌が流れている。おや?どこかで聞いたメロディーだなあと思って聞いていると、
なんと「長崎は今日も雨だった」であった。
僕はずっこけそうになった。
一体どういったルートでカバーされるのか。
丁寧な蚊帳を貸していただき、就寝。
田舎で蚊帳は重要だ。なぜならデング熱やマラリアが身近な病気として存在するのだ。
「あと特に野良犬には噛まれないようにね。狂犬病はかかると絶対死ぬからね。」ということであった。
すさまじい犬の遠吠えとともにうつらうつらしていると、チクゥー!という鋭い痛みが!
左足のかかとである。
なんや!と思って起き上がると、かかとは何ともない。
でもビリビリしびれている。
何もいない。
何かに刺されたか。
仰向けになって、ひょっとしたら死ぬかも…、とちょっと思いました。
翌朝。
無事生きていたので、話をすると「サソリ」ではないかとのこと。
高床式住居は床に隙間があるので上がってきたのだ。
あ、やっぱり死ぬかも…。
つづく
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